発達障害者が仕事をしたら~死にたかった日々、仕事選択のミス

仕事でミス


今は少しずつできることをこなしていっているちかですが、20歳前後はどうしてもできないことをできるようになりたかったです。

それで一番できたかったのが、接客業でした。

なぜ接客業をしたかったか

私の母も、祖母も、接客業を経験しています。

さらに祖母は、とても明るい人で、人に好かれる、人に元気を与えられる人でした。

仕事中もとんでもなく仕事のできる人だったらしいです。

その祖母の孫、母の子であるということを証明したいという気持ちもありました。

そんなことは祖母も母も望んではいませんでしたが、私はどうしても、それが親孝行と思っていました。


接客業のできる、人当たりの良い「自慢の孫/子供」になりたかったんです。

そんな私を、二人はいつも心配していました。

いや、二人だけでなく家族はみんな心配していました。

病院などには行っていなくても、家族は私のできないことを理解していたからです。

結局わかっていないのは自分だけだったんです。

ちかの接客業での働きぶり

もちろん惨敗でした。

私のできるできないが如実に表れていたなと思います。

私の場合は、仕事が覚えられないということはありませんでした。

どこで働いても、「入ったばっかりとは思えないね。」と言われていました。

なんで仕事はおぼえられたのか考えると、目で見た情報のみに従って、動けるものだったからじゃないかと思います。

ただし、先輩の真似、上司の真似をして動いているだけで、「その動きはなぜしているのか、今はどういう状況だからこうしているのか」そういうことは、まったく考えることもできません。

とりあえず動いておけば、怒られないと思っていろいろやっていました。

やる仕事がないときに気を利かせて動くとか、そういうことはできないと無意識にわかっていたからなのかもしれません。

もう教えてもらってある、一連の動作を、次々とこなしていって、やることのない時間を作らないようにしていました

そうすれば、自分の苦手な、状況を読むということはしなくていいからです。
これは正確には違いますよね。物事には優先順位というものがあります。

それでも、やるべきことはさっさと終わってしまいます。

これは私にとってはピンチですが、周りから見ると、「仕事が早いね。」になるのだと思います。

状況を見て動かないといけないというピンチになったので、何かやることはないか、聞きに行きます。

そうすると意欲のある人のように映ると思います。

でも本当は、やることがないという時間が怖いだけです。
何かに気が付かないといけない時間かもしれないからです。


まあ、何かしていても、もっと重要なことがあるということもありますよね。
そんなときは「そんなことしてないでこっちやって!」と言われてしまいます。


そんな感じで、どんどん仕事を覚えていきます。すると、

「あとは自分の好きなようにやっていいよ。」

と言われてしまうんです。


これが大問題なんです。

今はわかるできないこと

この「自分の裁量で決めていい。」というのは、最もできないことらしいです。

私は、「今の状況はこんな感じ。」という感性自体がないらしいんです。

そうなると、自分の裁量で動くなんてできないということになります。

自分の裁量で動くには、今の状況を把握することが必要不可欠だからです。

この、状況をつかむことができないというのは、言語化に由来しているようで、状況や、感情、体験経験は、みんな、言語化して知識とすることだかららしいです。


「仕事はいっぱい覚えて次々とこなす」のに、「自分の裁量では動けないこと」を、周りから見たとき、気が利くのか利かないのかわからなくなると思います。

教わったことを次から次へやっていることを見ると、「あれこれ細かいことに気が付いて、気が利くわね。」だと思いますが、大変なことをやっているときにどうでもいいことを一生懸命やっていたりする時は、「何この子。なんでそんなことしてて手伝ってくれないのかしら、気が利かないわね。」になると思います。

この状況が、「自分にとっても、周りの人にとっても、できることとできないことがわかりづらい」という状態じゃないかなと思います。

つまり、私は、状況を見て、自分で判断して動くということができないんです。

まさか状況が読めないなんて、誰も思わなかった

私は、「人に迷惑をかけない、失礼のないように、笑顔でいることを心掛けなさい」と育てられたので、反対意見は基本言いません。

「入ったばっかりとは思えないわね。」
と言われたときなんかも、なんでそんなことを言うのかわからず、

「いや、はいったばっかりですよ。え?」と心の中で思っていました。(笑)

でも、口から出るのは「あははは!そんなそんな。」でした。


こういう会話も、なんとなくうまくやれているように見えてしまう原因なのかもしれません。

↑の会話を聞いて、「まさか、この人意味わかってないんじゃ?」と思う人はいないと思います。そうですよね?

実際、仕事場で、悪い評価を受けたことはほとんどありません。

一個だけ残っているのが、初めて出会った場面だったので、上司に相談したら、「このくらいは適当にやれるよね?いちいち私を呼ばないで自分でやって。」と言われたことです。

もしかしたら、多くの人は、本当に自分の判断でできることだったかもしれません。

それか、それ以外の仕事ぶりがよかったので(笑)、普通に考えたらこれだってできると思われたのかなと思います。

どっちにしても、それ以外は怒られたという記憶はありません。

働いている時間はずっと不安だった

私には、状況を見て、柔軟に動くということはできません。

それは接客業で最低限求められる能力なのではないかと思います。

接客業でなくても、一人の人が、たくさんの仕事をこなさないといけないという仕事はすべてそうかもしれません。

仕事中は、何をしているときも、
「いつ怒られるか。」

「今はこれをしている時間で合っているのか。」

「今この人に話しかけてもいい時間なのか。」

「そもそも自分がやるべきことは何なのか。」

そんなことをずっと考えていました。

どんなに考えても分からなくて、一か八かで、動くしかない!と勇気を振り絞って行動していました。

今回病院に行って、「状況を見ることができない」と知って、なんだ、できなかったのかと思いました。

努力不足なのかと思っていたんです。
「どうしてこんなこともできないのか。」
「こんな人間では家族も恥ずかしいのではないか。」
「生まれないほうがよかったのではないか。」

そう考えていました。

発達障害だと分かって変わったのは自分自身

自分を否定し続ける私は、「死にたい」とすら考えるようになります。

そんなことを私が考えているとき、一番苦しかったのは、私ではなく、家族だったと思います。

家族はいつも、「無理しなくていいよ。」と言ってくれていました。

働いては苦しんでやめてを繰り返していた私にも、「無理して働くことはない」とか、「自分に合った仕事があるよ。」とか、とにかく、わざわざ無理をしに行っている私を止めていたんです。

それなのに、ずっと自分を否定し続け、しまいには「死にたい」だの「生きている価値がない」だの言って…。

本当に悪いことをしていたと思います。

それが、病院で発達障害の可能性をいわれ、自閉症スペクトラム障害だとわかり、だんだん視点が変わってくることができました。

家族はずっとわかっていた「できることとできないこと」をようやく私自身が実感することだできたんです。

そうなって、私は、できないことを人に任せられるようになってきました。

そして、できることに自信を持ててきていると思います。

自分の周りで心配してくれる人は、自分自身ではわからないことを一生懸命教えてくれようとしているかもしれません。

私は、病院に行って、発達障害がわかって、本当に良かったです。

できないことはもうしょうがないです。

できることで恩返しできたらうれしいです。

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