発達障害者が「全体が見えない」というのはこういうこと! 2重の苦しみ

無理


全体を見ないといけないと思ったんですよ。ちかです。

今までいろいろな場面で、「『自分の意識できない部分』=『全体』を考えないといけないな。」と感じることがよくありました。

それは、私はどうしても一部に注目してしまって、それ以外の部分がおろそかになってしまうからです。
周囲の状況を見るというのが本当に苦手なんですよね。

でも、その「周囲の状況を見る」のが苦手な私が、全体を見ようとしたって、結局どこか別の1つに注目するだけじゃないかと!
気がついたわけです。(笑)

ということで、発達障害者が「全体が見えない」というのはどういうことなのか、まとめてみようと思います!

「意識したらできる」というものではない

まず、私が気がついたのが、今まで自分が発達障害だと知らなかった時には、全体が見えないのは意識してないからだと思っていたということです。
つまり、「見る」ことはできるけど「見ていない」だけ、と思っていたんです。
ふつうそう思いますよね。多分。

だから私も例に漏れず、「見ない」のをやめようと思ったんです。

私が最も「全体を見よう」としていたのは大学生になった頃でした。
その頃は自分が発達障害だなんて知らなかったので、最も無茶をしていた頃で、逆に、この頃の精神的な落ち込みが原因でメンタルクリニックへ行って、発達障害がわかったんです。

その頃全体を見ようとしていた私が何を見ていたかと言えば、それまで自分の見えていなかった「別の一部」だということなんです。

意識して見えるのは「また別の一部」

私が、全体を見ようと意識をした時に、何が見えるのかと言えば、自分がそれまで見ていなかった別の一部ということになります。

基本的にほんの一部に集中してしまう私が、「別の一部」を見ているという時点でかなりの労力を使っているのですが、その時私がやりたいのは「全体を見る」ということなので、かなりの労力を使って、やりたいことに失敗しているということですね。(笑)
それを最も顕著にしていたのが大学生になった頃の私です。

大学生になった私は、母のしていることについてよく考えていました。
だから、そのとき見えていたのは、「母のしていること」だけです。

しかし当時の私は、家のことを全部見ているつもりでいました。
母の代わりに家を回すつもりでいたんです。
無茶ですね。

そして、当時の私が考えていたことを思い返してみると、私は、母のしていることが全てだと思っていました。
その時点で「自分のこと」が抜け落ちているので、「全体を見ている」とは言えなくなっているんですけど、それには全く気がついていません。(笑)

そうなんですよね。
私だって私なりに、家を回す手伝いをしていたんだと思います。
でも、その時の私は母のことしか考えられなくなっていたので、自分がそれまで何をしていたのかということは完全に抜け落ちていました。

それに、私の家族は母だけではなく、姉や祖母、父もいました。
でも私には母しか見えていなかったんですよね。

しかも、母のことの中でも「自分から見て大変そうな部分」しか見えていなかったんだなということに今気がつきました。

そうなってしまっては、肝心の母のことでさえ見えていないということになってしまうので、私が当時「周りが見えている」と思い込んでいたのも所詮は、「今まで見ていなかった範囲の中のごく一部」を見ているに過ぎなかったということです。
だって、それまで見ていたことでさえ見えなくなっているということなんですから、全体が見えているのとは全く別物ですよね。

でも当時の私は、「全体が見えている」と思い込んでいました。
というかつい最近までそう思っていました。

なんなら、その一部のことを考えないと、自分勝手に生きていることになると思ってたんです。

それだけは絶対に嫌で、母や家族の役に立ちたかったんです。
でもここでの問題は、それを自分1人で考えたことだなと今は思います。

「別の一部」を「全体」と勘違いして失敗する

私は当時、全体を見て動いて、家族、主に母を楽にしたいと思っていました。
全体を見て動けていると思い込んでいたので、その勘違いによって失敗することはとても多かったです。

肝心の家族とも衝突ばかりしていて、それでも自分は全体が見えていると思い込んでいたので、「なんで全体を見ようとしないのか。」と理不尽に怒ったりしていました。
家族はわたしなんかよりよっぽど全体が見えていて、その結果私のことを心配してくれていたのですが、私は私自身のことが全く見えていなかったので、心配してくれていることにすら気がついていませんでした。

これは母のこと以外でもいつもそうで、職場でも、学校でもいつでもそうです。

こうやって当時のことを振り返ってみて一番思ったのは、母や祖母などの家族に心配をかけていただけだったなということです。

だって、私がそうやって無茶をする前からずっと、うちは問題なくいろいろなことが回ってきていたんですから、私が1人で空回りしていただけなんです。
それだって周りの見えない私には気がつきようがなかったんですよね。
このことからも、いかに周りが見えないかがわかるかなと思います。(笑)

できないことは人に上手に任せる

ここでも大事になってくるのが、「苦手はことは人に上手に任せる。」ということだと思います。

ただ、人に任せるには、「自分はこれが苦手だ。」と自分で理解していないといけないと思います。
そうじゃないと、人に説明することもできないし、人に頼ろうとさえ思わないからです。

でも、自分が発達障害だということがわかったり、病院で先生に「あなたはこれができませんよ。」と言われたとしても、どうしてもなかなか理解できないものだと思います。

というのも、やっぱり自分の感覚が人とは違うなんて、人の感覚がわからないのにわかりようがないからじゃないかなと思います。
だってそれまで、できると思って生きてくるし、自分の知り得ない範囲に物事があるということを理解するというのは、見えないものを見ろと言われているということなので、時間はかかると思います。

今回の「全体が見えない」ということも、本人は見えないところに何かあるということになるので、自分で見えていないということを把握することが大変だと思います。

それに、発達障害の特徴が出ていたことで何か失敗したことがあると、ダメージが大きい場合が多いと思います。

何しろ、わけがわからないまま怒られたり、本当の意味がわからずに、とんでもなくひどいことを言われたと勘違いすることも多いからです。

そういったことを一つ一つ整理していって初めて、自分の苦手なことってわかるのかもしれないなと最近思っています。

でも、そういうことを整理できたら、あとが楽だと思います。

それに、できないとわかったから選択肢が広がるということもあると私は思ってます。

今回のことで言えば、全体が見えないとわかれば、もう全体を見ようとして無駄な時間を使うこともないし、全体を見ている人には見えない細かいことがわかることが役に立つ何かがあるかもしれないですから。

まとめ

いままであった、整理できない辛い出来事も、最近は発達障害のことから考えていくことで、原因らしきものがわかるということも多いです。

今回の全体が見えないということも、今まで何度も味わってきたことだなと思います。
それに、家族が関わってきていることなので、私の中でかなり辛い経験です。
思い出すのも嫌です。

でも、こうやって整理していくことが大事だと思っていて、こうしないと、自分のことを理解できなくてまた、同じ失敗を繰り返して悲しい思いをするのは私だからです。

全体が見えないということも、何か一部が気になってしまって、全体を見ることができないのではなく、もう全体を見るための何かが欠如していると私は感じます。

そうなったら、全体を見るためには何か普通とは別のアプローチが必要なんだと思います。

それか、もう全体を見せるのではなく、一部を切り抜いて伝えていくことなのかなと思います。
その一つ一つを理解していくことならできると思います。

そう考えると、全体が見えているっていうのもなかなか抽象的というか、発達障害者でもまるで全体が見えているかのようにとられてしまう理由がわかったような気がします。

発達障害者本人もよくわからない発達障害者の感覚をその感覚を持っていない発達障害でない人が理解するのは本当に大変だと思います。

早くみんなが過ごしやすい環境ができるといいのにな。

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