自分が「発達障害である」ことを認めた日


そっか…、変だっていいんだ!ちかです。

発達障害だということは、すくなくとも「いたってふつう」ではないということですよね。
時には、「この人おかしいんじゃないか?」と思われることもあると思います。

そして私自身、自閉症スペクトラム障害なので、今までに「変な人」と思われたこともあるかもしれません。
現に、「おかしい」と言われたこともあります。

まぁそんなことは誰にでもあることですよね?
ないかな?(笑)

だって自分から見たら、ほかの人なんてみんな変だと思いますよね。
私に変だと言ってきた子も、私から見たら変です。(笑)

まぁ今回気が付いたのはそんなことじゃなくて、自分自身が変であるということを「変でいいや!」と思えたということです。
だって発達障害なんだもん。(笑)

2回目ですけど、「いたってふつう」なんだったら発達障害とは診断されることはないということですよね。
診断されないというか、発達障害じゃないということですよね。

つまり、自分が発達障害であることを認めることができたんだと思います。

というわけで今回は、今まで自分の中にあった「発達障害を認めていない自分」は何を考えていたのか発達障害を認めたらどうなったのかをまとめてみようと思います!

発達障害を認めていなかった理由

自分では意識はありませんでしたが、今になって考えると、私は自分が発達障害であるということを認めていませんでした。

24年の人生を健常者として生きてきて、「あなたは障害者でした。」と言われても、逆に障害者であるがゆえに、すぐには理解できないのかなと思います。

理解できないといっても、「私は発達障害じゃない。」と思っているわけではなくて、「私が発達障害だということはどういうことなのかわからない。」という感じです。
伝わるかしら?(笑)

ちょっと具体的に書いてみようと思います。

理解できなかった「あるもの」

私が発達障害だということがわかって、まずわかるのは、私は健常者ではなかったということです。
そんなことは発達障害でない人の場合は数珠つなぎでわかっていくのかもしれません。

でも私にはできませんでした。(笑)
発達障害だから発達障害と診断されて、ということは今までもずっと発達障害だったということです。
簡単に言えば障害者ですね。

でも、それまでの人生で、一生懸命「ふつう」になろうとしてきました。
私が本格的に悩み始めたのは高校を卒業してからですが、その前から、自分なりに変ではないようにしようと努めてきました。

その基本的な部分は発達障害がわかってからも根強く残っていたわけです。
つまり、「いくら私が発達障害だからって、ふつうであることに努めよう。」ということです。

さんざん自分で、「なかなかみんなと同じようにはいかないこともある」というような内容の記事を書いておいて、その内容を自分自身が一番わかっていなかったんです。(笑)

ふつうでいられるならそれは障害じゃないですよね。(笑)

努力してなろうとしていた「ふつう」とは

そもそも、私に普通がわかるのかという話です。(笑)
考えたら普通がわかるのなら、そうなるように努める必要はないですよね。

今思えば、「私ではないものになろう」としていたような気がします。
自分は変だから、その変な自分ではない状態になれば「ふつう」になるのではないかと思ったんでしょうね。

だから、そもその目指していたものが抽象的過ぎたので、何をしても納得できなかったり、不安でたまらなかったんだなと思います。

それに、ふつうのことが普通にわかるということこそがもっとも「ふつう」といえることだと思います。
だから、普通はどうするのかがわからない私は「ふつう」ではないことになってしまったんでしょう。

なぜ「ふつう」を目指したのか

↑にもありますが、「おかしい」と言われたこともあるんですよね。

そう言われて初めて、「自分は何か人とは違うことをしてしまっているのか…。」と思うようになりました。

人とは違うことをしているということも気が付いていない状態から、人と違うことをしている可能性があると思うようになったということです。
そして、「おかしい」と言われても、なぜ自分のしていることがおかしいのかはわからなかったということです。

だから、正体の知れない「人とは違うこと」と戦うようになったということだったと思います。

「ふつう」というものが何なのかはわからないが、「ふつう」を目指したほうがいいと思って目指し始めたという感じだったと思います。

「ふつう」になれたのか

そして、それを目指したからと言って、私が「ふつう」になれたかというと、もちろんそうではありませんでした。
周りから見た時に何もおかしくない状態にあったこともあるかもしれませんが、それに私自身が気が付くかといえばそうではないです。
「ふつう」がわからないからです。

どういうことかというと、自分が人と違うかどうかを考えるにはまず、人はどうしているのか(つまり「ふつう」)がわからないといけないと思います。
それと比べて、同じかどうかを考えるということをすると思います。

でも臨床心理士さんが言うには、私は一般的な知識を集めることが苦手らしく、いわゆる「普通こうするよね?」という常識や暗黙の了解はわからないそうです。

そうなると、自分がたとえ「ふつう」の行動をとれてても、ふつうであるかどうかわからないということになるんですよね。(笑)
もちろん、「ふつう」と違うことをしていてもわかりません。

だから、どうしても「ふつう」にはなれませんでした。

自分が発達障害だと認めたら「なんか楽しくなった」

今、自分は発達障害で、発達障害として生きようと思ってから、なんか楽しくて仕方ありません。

たぶん自分否定が終わったからだと思います。

「ふつう」を追い求めることは自分の全否定になる

「ふつう」を目指し続けてきたということは、要するに、自分が発達障害だと認めていないことだったということじゃないかと思います。

たとえ私自身が発達障害だと認めようが認めまいが、私は発達障害なんですよね。

だから、発達障害じゃなくなろうとしてなれない私は、自分自身に全否定されることになってしまいました。

ふつうじゃないのが自分だということを、認めていなかったんですよね。


そして全否定をしなくなったから、何をしていても楽しいと思えるようになったのかもしれません。

自分を否定してて楽しいわけない

さっきも書いていますが、私が認めようが認めまいが、私は発達障害なんですよね。
そして、発達障害者としてしか生きてきていないし、発達障害者としてしか生きていけない自分が発達障害であることを認めなかったら、それこそ生きづらい状態になるのではないでしょうか。

なんにしても、自分が発達障害であることを認めたことで、自分の精神状態がかなり回復しました。

ここで変わったのは、自分の認識だけですよね。
発達障害でなくなったわけではありません。

それでも、なんだか楽しくいられるようになって本当に良かったなと思います!

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