「見えてないとないことになっちゃう」いくつも同じものを買ってしまう人


コレクターではありません。ちかです。

私は文房具が好きで、よく文房具売り場に行っては何時間でも眺めているのですが、小学生のころから文具はたくさん買っていました。
鉛筆やシャーペンだけでなく、消しゴムも筆箱もノートもたくさん持っています。

そんな私がある日「バリバラ」を観ていると、「アスペルガーの子は見えていないとないことになってしまって、同じものをたくさん買ってしまう」という話をしていたのです。
まさかと思って、最近よく買っていた「水筒」をよく見える位置においてもらったところ、もう買うことはなくなりました。

驚きました。
まさかそんなことが原因だったなんて。

というわけで今回は、アスペルガーの人は見えないものはないことになってしまうということについてまとめてみようと思います。

「ない」と思って買っているわけではない

最初に言っておきたいのが、買うときに「ないから買おう」と思っているわけではないということです。

買うときに思っていることは「これいいな。買おう」です。
ただ、今、見えるところに置いておくようになってから考えてみると、そのときは「家にすでにあるものと比べる」という作業が著しく少なかったように感じます。

家にすでにあるもののことを思い出さない

これが要するに、「ない」ことになっている、ということなのだと思いますが、買い物をしていて、同じようなものを買ってしまっているときも、家にすでにあるものをまったく思い出していませんでした。
家にもあったなと思うこともありましたが、そういう時も、「あったなー。」と思う程度で、それに対して深く考えることはありませんでした。

つまり、見えていないものの存在感がかなり薄くなっているということは確実だと思います。
そのかわり、見えているもののことは克明に記憶しています。

普通はどうなのかわかりませんが、たしかにこの状態は、見えていないものは「ない」ことになっているといえそうだと思います。

見えているだけでそんなに変わる?

ためしにいろいろなものを見えるようにしてみました。
そして、日ごろから使えそうなものは積極的に使ってみています。

その結果、買い物が明らかに減っている気がします。

さらに、気がついたことがありました。

そのものを持っている「意図や目的がわかっていない」場合がある

私の場合ですが、いろいろなものを目に見えるところへ置き、日ごろ使ってみたりして、あることに気がつきました。
それが、「自分がそれをどういう意図で選んで、何のために使っているのかがわかっていないことがあった」ということです。

使い方がわからないとか、そのものの価値がわからないとかではなくて、「自分がそれを使う意図や目的」がわかっていなかったということです。

いろいろなものを、買ったときには「こういうところがいいな」と思っているのですが、実際に自分が使うということはあまり考えていなかったような気がします。
だから、こうしていろいろなものをちゃんと自分で使える状態にしてみて初めて「自分の意図」を感じたのかもしれません。

「自己肯定感」の問題かも?

ここ何年かの私は「自己肯定感」というものが著しく低下しているようです。
簡単に言うと自分に「よし」と思えないということだそうです。

自分がいいと思ってやったことでも、人に何か言われたくらいで「だめだ」と思ってしまうようになっているということだそうです。

確かにここ数年の私は、本当に「自分の好きなこと」を見失っていたし、何をしたいのかもわからなくなっていました。
それが最近になって、こうしていろいろなもののことを考えているときに、「自分はこれが好きなんだ」とわかってきたということかもしれません。

見えていると「愛着」もわきやすい

そして、物を見えるところに置くようになってからのほうが、愛着がわきやすくなったと思います。
そりゃ、ないことになってしまっていたら愛着もわきようがないので当たり前ですけどね。

だから、今までは自分のことを「新しいものにしか興味がない」のかと思って落ち込んでいましたが、もしかしたらそんなことないのかもしれません。

それに、愛着がわいたら他のものがほしいとは思わないし、逆にわかないから買っていたともいえるのかもしれません。

当たり前には行かない障害者なので、普通は結びつかないようなことが意外なところで結びつくこともあるのかもしれませんね。

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