発達障害のちかが高校生時代にした失敗…

あの頃の私があるから今の私がある。ちかです。

私は2017年4月に自閉症スペクトラム障害であったことがわかりました。

発覚したのは最近ですが、発達障害は先天性の障害なので、今までずっと発達障害者として生きてきていたということです。

昔のことも今思うと「こういう問題が起きていたんだろうな」と思うこともたくさんあります。

中でもつらく大変だったのが高校生時代だったと思います。

今回は私が思春期ゆえのなのかはわかりませんが、高校時代にやってしまった失敗や間違った自己理解などを話してみようと思います。

高校時代の失敗の始まりは「高校選び」から始まった…

そもそも、高校に通う前から失敗が始まっていたなと今は思います。

私は双子の姉がいるので、中学までは姉と一緒に通っていました。

「だからこそよかったことがいっぱいあったのだ」と高校に通うようになってから身に染みるのですが、まだその頃の私にはわかりませんでした。

当時の私は、意地を張って、姉と同じ高校へ行くことを嫌がりました。

高校で初めて、姉とは違う学校に通おうとしたんです。

私としては、「一人でだって頑張れる」という気持ちで、でも実際どう頑張れるのか、自分には何ができるのか、全く考えていませんでした。

優秀な姉と同じことができると思った

私の姉は、優等生と言われるタイプの子供で、生徒会長とかをやる人でした。

その姉が私とずっと一緒にいてくれたことによって私は、姉の真似をしているだけで問題が起きることはなかったわけです。

でも当時は、いつも姉が一緒にいる環境が私にとって当たり前すぎて、「自分一人で過ごすということがどういうことなのか」は全く考えたこともありませんでした。

「一人でだって今まで通り問題なく過ごせる」と思って高校へ行き始めますが、それは私にとってとても大変なことだったんです。

高校時代に大変だったこと…

そんなこんなで一人で高校へ通うようになったのですが、問題が起きないわけがありませんでした。

中でも大変だったのが、私のする行動が「優等生の姉」と同じに見えることがとても多かったことです。

そうすると、周りからは「『優等生の姉』と同じように考えて行動しているだろう」と思われてしまいます。

もちろん私がいろいろなことを敏感に察知しているわけはなく、あくまでやっていることが姉と同じというだけです。

それでも、周りの人にはどうしても「優等生」に見えてしまうことがありました。

それが私をさらに追い詰めていきました。

なぜか先生の「秘書」のように扱われる

おそらく理由は「優等生に見えたから」なんだと思いますが、なぜか私のことを秘書のように扱う先生が多くいました。

運動部に所属していた人はよく見ると思いますが、部員の中でも先生のお世話を命じられやすい人がいますよね。

そうなりやすいのはやっぱり「優等生」といわれるような頭の切れる人である場合が多いと思います。

そうなると、本来私がその立ち位置に行くのはおかしいのですが、行動がまるで優等生みたいなので、自分も周りも勘違いしてしまいました。

本当にただ「優等生みたい」というだけで、もちろん、ちゃんと自分で考えて動いていたわけではありません。

それでも、ある時の優等生的行動から、「こいつなら対応できるだろう」と勘違いしてしまったんでしょう。

その時やらないといけなかったことは、発達障害でない人にとっては何でもないことだったことも多かったと思います。

でも私にとってはその時間は地獄のような時間になってしまいました。

最も苦手な「コミュニケーション」や「気を使う」ことがとても多い

そういった秘書的な立ち位置では、直接指示されなくても「そんなの普通こうだろ」といわれるような動きを求められますよね。

それは、発達障害ではない人には何でもない当たり前な情報交換の中で交わされている情報であることがとても多いのですが、逆に、発達障害者には全く受け取れない情報でもありました。

でも先生たちは、私が姉のような「優等生」だと信じているので、私が何か失敗をすると、「わざと、反抗的な態度をとっている」と感じていたのでしょう。

「わかっていてわざと知らないふりをしている」と思われていたということです。

これが発達障害者にとって、いちばん起きやすい問題だと思います。

「当たり前」がわからないことで、「わからないふりをしている」と思われてしまったり、「わざと嫌な態度を取っている」と思われるということです。

そのせいもあったのか、「ほかの人が同じ状況になっても何も言われないのに、私の時だけは怒られる」ということも少なくありませんでした。

多分反抗的に見えていたんじゃないかと思います。

それに、「人より何もわからない私が、人より多くのことを求められるケースが多かった」という最悪の状況にもなってしまったんです。

その頃私のまわりにいた子の中には、私よりもできる子もいて、もどかしかったんじゃないかと思います。

「求められている」のではなく「できないといけないこと」なんだと思っていた。

私が当時、先生などに求められていることを、単に「求められていること」なんだと気が付けば最悪の状態にはならなかったかもしれません。

当時の私は、人に何かを求められているときに、「これはできないといけないことなんだ」と受け止めてしまいました。

だから「できもしないことを一生懸命できるようになろうとする」という地獄に入ってしまったんですね。(笑)

当時の私は、まさか「自分が発達障害だ」なんて思っていなかったので無理もないのですが、当時しようとしていたことは、そもそも「私が受け取れる情報量では対応できないこと」も多分にありました。

それは今でも同じことが言えますけどね。

そもそも「認識できないこと」はできているかどうかわからない

当時色々なことをやらないといけなくなっていましたが、そもそも、私にはなんのことだかわかっていなかった気がしています。

「できていないから何かを言われているんだと思うけど、何をできていないんだろう」と思っていたのは確かです。

でも「できていない」と言われていることはわかるので、「なんだかわからないけど何かをできるようにならないといけないんだ」と、色々なことを考えていました。

今になって、いろいろなことを家族などに解説してもらったら、「今でもあまり理解できないけど、私のわからないところで色々なことが起きていたみたい」ということだけわかりました。(笑)

あの頃は今までの人生で最も大変だった時期なんだろうなと思っています。

高校時代から得た教訓

こんな感じで、「自分が発達障害だ」ということを知らなかったことで起きてしまった失敗から、いろいろなことを考えています。

自分のことを理解して行動することは、自分のためだけでなく、周りの人のためにもなるというのが一番大きな教訓ですが、それを実現するための方法を結構考えることができました。

できないことはできる人に任せる

高校時代のことから得た教訓の一つが、「できないことを自分で無理するのではなく、できる人に任せる」ということです。

これは私が当時、「自分にはできないことだと思うけどできるようにならないといけないんだ」と思っていたことが、簡単に言えば、意味のないことだと思ったからです。

「できるように頑張る」のはいいことだけど、それは「身勝手」でもある

当時の私のことを考えてみても、できないことを自分一人で抱え込むというのは、その物事が進行することを妨害することになると思いました。

自分はできないけど誰かほかの人ならできるかもしれないし、そうだとしたら、できる人に任せればその物事は進んでいくことになります。

だから、その自分ができないことを抱え込むということは、自分にとっても周りの人にとっても良くないことだと思いました。

それに、自分のできないことをちゃんとできる人に任せられるというのも、できていることになると思います。

できもしないのに自分でやろうをすることが、「真にできていない」ことになると思うからです。

できないことは人に任せて、自分は自分のできることを一生懸命しよう!

高校時代は大変で大変でしょうがありませんでしたが、こうしていろいろなことがわかってから考えてみると、自分がするべきことがなんとなくわかってきました。

できないことは人に任せて、自分のできることで人の役に立つ。

これが自然な姿ですよね。

逆に考えれば、自分が何の苦もなくできることができない人もいます。

そういう人を、自分ができないことに執着しているがために助けられないのはもったいないなと思います。

だからこそ、できないことはできる人に任せて、自分はできることをした方がいいと強く思うようになりました。

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